とにかく好き!って言いたい星人

〜これが好き!ここがすごい!あれも素敵!と、とにかく言いたい星人の私〜

改めて「もののけ姫」の奥深さに涙が溢れた日

また図書館で本を借りてきました。

 

 

 

 

 

もののけ姫」の制作過程を追ったドキュメンタリー記録本です。

 

ボリュームも読み応えもあって、少しずつ少しずつ読み進めて

結局3週間かかってようやく読み終えられました。

 

 

 

 

全て読み終えてパタリと本を閉じた時

 

 

あまりの感動に

ボーッとしてしまった。

 

 

宮崎駿監督が大好きな私が

監督の作品の中でも一等大好きな「もののけ姫」が

一等大好きなアシタカが

 

 

より愛おしい存在になってしまった。

どうしよう。

(知らんがな)

 

 

ハァ、もう本当にどうしてくれようか

この愛おしくて愛くるしい気持ち!

 

読み進めれば読み進めるほど

「そうだったんだ!」

「あれは、こういう意味だったんだ!」

って、たくさんの意味と歴史とそこに注ぎ込む宮崎監督の情熱と

一切手を抜かない気迫と

 

こんなに底知れない深みしかない作品って他にあるのだろうか

 

掘れば掘るほど秘められた宝石みたいな素晴らしい意味と理由が沢山出てきて

 

私が知っていた「もののけ姫」は単なる氷山の一角でしかなかったことを

痛感させられました。

 

もっと、たくさんのことがいっぱいいっぱい詰め込まれていました。

 

 

 

まず主人公のアシタカの設定についてが唸る他なかった。

 

この今の時代に生まれた子供たちは

何も悪いことをした訳でもないのにババを引いてしまったような

そんな運命の時代に生まれて

そんな子供たちに「明るく元気に生きよう」と言ったって

きっとそれは通じないから。

 

不条理で困難な世界で生きていくことの方向性をアシタカを以って提示したかった、と。

 

(序盤で既に脱帽)

 

 

アシタカって村とみんなを守る為にしたことで

村から出る他ないことになってしまって

しかも受けた呪いのせいでこのままでは死んでしまうっていう

 

正しいことをしたのに不本意で不条理でしかないところから

スタートしているので

確かにそれまでのジブリの主人公の明朗快活な人物像とはかけ離れていますね。

 

 

宮崎監督は作品を制作する上で

ただ自分本位に作りたいから作る、ではなく

必ずその時の時代の匂いや色を見て読んで感じて

今一番必要なのはこの形なんだ、っていうものを

示し続けている姿勢がずっと一貫しているので、

 

そこが、もう本当にやっぱり違うところだな、と感じます。

 

 

そしてアシタカはそんな自分の人生の運命を決めてしまった相手であるエボシと出会い

自分にかけられた呪いの根源を作り出したことに加えて

新たな憎しみも生み出しかねない行動に出ようとする彼女に

怒りを露わにしますが

 

そんな自分にとっては悪のようなエボシが

タタラの女性たちにとっては自分たちを救ってくれた大切な存在であることを知って

 

「そうか」と静かに呟いたシーンは

意味を理解してから見るのとでは全く感じ方が変わります。

 

アシタカの言葉にできない

「良い」も「悪い」もジャッジできない現実やジレンマに苦しんでる様子が

もう、たまらないですね…

 

いっそみんなが自分のように憎しみを向けられるような存在でエボシがあってくれたなら

よっぽど簡単で楽だったけど。

 

そうじゃなかった、っていうのが

分かったことの集約がこの一言の「そうか」に詰め込まれているんですね。

 

(  )色んな感情がないまぜになって顔面の全てのパーツが落ちたワシ

 

 

 

それから、こちらの本を読んで

宮崎監督の製鉄に対しての熱量の凄まじさに圧倒されました。

 

私、作品の中に細かく描写された

製鉄作業しているところや砂鉄の採取、炭焼きの様子を完全に見逃していました。

 

改めて映画を見てびっくり。

何これすごい、こんなに繊細にここまで一つの場面として描いていたのか!!

全然注目できていなかった。

 

まだまだだ

私はまだまだ甘かった

 

 

そしてかなりの鳥肌案件がもう一つ。

 

製鉄民達は金屋子(カナヤコ)の神を祀る。その神のイメージは2本の尾を持った狐に跨った女神として描かれることが多い。モロは2本の尾を持ち、サンは山犬にまたがる。製鉄民と対立するサンだが、イメージは製鉄の神様に近いのだった

 

 

 

え、本当だ

早速ググって画像を見た奴

 

 

私モロ大好きで、尾が2本っていう魅力がまたたまらなくって

本当に大好きな母さんなんですが

そういうこと、だったの

 

そんな神様に、人間達が投げて寄越した赤子のサンを

可愛い娘だというモロ。

人間にも山犬にもなれない可愛いサンをずっと見守って育ててきたモロ。

 

(  )再び顔面のパーツがどこかにぶっ飛ぶワシ

 

 

私が思う宮崎監督の凄まじいところって、まさしくこういうところなんですよね。

 

私たちが想像している以上の意味とかメッセージとかを込めて作ったものって

どうしたってそれを説明したくなるし

 

10人いたらなるべくその10人全員にそれが伝わるように

分かりやすく作りたくなったりすると思うんですけど

 

宮崎監督はあくまでも「分かる人だけ分かればそれで」っていう

絶対に押し付けないスタンスっていうのが基盤にある気がします。

(あくまでも勝手に私がそう感じているだけですが^^)

 

自分の中の大切に大事に描きたい、絶対に手は抜かないっていう

そういう半端じゃない情熱を向ければ向けるほど

それを観てくれた人に正確に感じて欲しいって

思ったって良いのに。

 

それを作品の中に絶対に持ち込まないでいれる

精神性が恐ろしいです。

 

だって、せっかく自分の魂込めて作ったものなのに

「意味が分からない」って一蹴されちゃうかもっていう

恐怖心とかあるじゃないですか。

 

なんか、本当に宮崎監督のことを知れば知るほど

巨大樹みたいな方だなぁって思います。

 

太い幹があって、何重にも折り重なった年輪を携えて

土に根を下ろして

ただそこでずっとこの世界がどう生きているのかをまっすぐ見つめて

感じてきた方なんじゃないかなぁと。

 

「木が大好きで、大尊敬しているんです」っとどこかで語っていらした気がしますが

私にとっては宮崎監督が木そのものに感じずにはいられないです。

 

 

 

 

♦︎

 

 

 

本を読み進めていく上でどんどんアシタカという

大切なもの全て掬い上げてしまう彼の

勇敢さでもあり、切り捨てることができないから甘いと言われてしまうところでもある

そんな愛おしいところがより深まっていって

たまらない気持ちになっていったんですが。

 

宮崎監督はインタビューで

「アシタカはこの後もエボシとサンの間に挟まれて

苦難の多い人生になるのだと思う」と語っています。

 

それを踏まえて、私が思い出したこと。

 

もののけ姫」のVHSを小学生の頃、誕生日プレゼントで

母に買ってもらったのですが

そのパッケージを開いた裏面にこんな言葉が掲載されていました。

 

アシタカせっ記

 

 せっ記とは草に埋もれながら 耳から耳へと語り継がれた物語のこと

 

 正史には残らない 辺境の地に生きた ひとりの若者のことを

 人々は いつまでも忘れずに語り継いで来た

 アシタカと呼ばれたその若者がいかに雄々しく 勇敢だったかを……

 残酷な運命に翻弄されながらも

 いかに深く 人々や森を愛したかを……

 そのひとみが いかに澄んでいたかを……

 

 山に生きる 忍耐強い人々は つらい暮らしの中で

 くり返し くり返し 子供等に語り継いだのだった

 

 アシタカのようにおなり

 アシタカのように生きよ と……

 

 

当時小学生だった私はこの詩をただそのままに受け止めて

「へぇ〜」と思っていましたが

 

今改めてこの文章を見て、涙、涙でもう本当に言葉にできない想いでいっぱいになりました。

 

こちらは宮崎監督が綴られた詩。

 

この言葉達にアシタカという人間の人生が全て集約されていますね。

 

過酷な運命の中で苦労しながら揉まれて

最後もいい終わりではなかったかもしれないけれど

 

でもその姿がずっとずっと後世に語り継がれるほどの人物として

ずっとずっと残っていったんだと思うと

 

もう、泣けます。めっちゃ。

 

もう本当に愛くるしい愛おしい存在のアシタカ。

これからもずっと大好きです。

 

ずっと私にとって永遠のアシタカ様^^

 

 

掘れば掘るほど、調べれば調べるほど

宝石やお星様みたいな理由がわんさか出てくる「もののけ姫」を

 

いつか気がすむまで永遠と語り合いたいなぁ

 

このどこに向けたら良いか分からないくらいの想いを少し収めたくて

ブログとして書き殴ってみました。

 

こんなに大好きな映画に巡り会えて、私は、本当に幸せ…