とにかく好き!って言いたい星人

〜これが好き!ここがすごい!あれも素敵!と、とにかく言いたい星人の私〜

私のことを忘れちゃったおばあちゃんとのリモート会話が楽しかった

私の母方の祖母は9年前に認知症と診断されました。

 

最初はデイサービスに毎日通っていましたが

度重なる怪我や、排泄が自分で行えなくなったことをきっかけに

老人保健施設さんに預け、お世話になることを母が決断しました。

 

今は毎日そちらでおばあちゃんは生活を送っています。

 

 

コロナ禍になってからは施設も限界態勢をとってくださっており

私たち家族も面会することができなくなりました。

 

おばあちゃんの洗濯物だけを定期的に母がとりに行ってくれ

洗ったものをまた補充しに行くだけで

 

2020年からの今の状況下になってからは

ずっとおばあちゃんに会えていません。

 

 

そんな中、親族にために、と

月に一度、リモートでのおばあちゃんとの会話をする機会はもらえているので

 

母はスマホ越しでのおばあちゃんとの会話を楽しんでいるようです。

 

 

つい先日、偶然母の部屋に入った時に

ちょうどそのリモートでの会話中で

 

 

母「あ、今おばあちゃんと繋がってるよ」

 

 

と言って見せてくれたスマホの中には

画面の向こうでヘッドセットをしたかっこいいおばあちゃんが。

 

へぇ〜!いつもこうやって会話してたんだ!

 

車椅子にとろんっと座るおばあちゃんにヘッドセットという

このアンバランスさが妙に可愛くて笑えてしまった。

 

 

私「ちょ、おばあちゃんかっこいいやんか〜!私でもこんなヘッドセットしたことないよ」

 

母「おばあちゃ〜ん、星人(私の下の名前)だよ〜」

 

おばあちゃん

「ん〜? スズキアヤコさん?

 

 

私「誰? スズキアヤコさん」

 

母「知らん笑 誰やろ笑」

 

 

私の本名に一文字も被らない

まさかの『スズキアヤコさん』に笑いが止まらない母。

 

おばあちゃんは孫である私のことは

もう覚えていません。

顔も名前も、きっともう忘れてしまっています。

 

認知症だと診断された当初は

まだ症状も軽いステージだったので

 

○○だよ〜」と会ってすぐ自ら自己紹介して

自分の名前を言って

分からない〜となる時間が発生しないようにしていたけれど

 

もう今では私という人間自体の記憶もすっぽり抜けて落ちてしまっている感じなので

その清々しさが逆に私は愛おしくって。

 

 

私「おばーあちゃーーん、私だよーーーー」

 

 

ノーメイクの薄い顔面を

母のスマホカメラに目一杯近づけて大声でおばあちゃんを呼んでみた。

 

 

そしたら

 

 

おばあちゃん

「オーホッホッホ!!!」

 

 

まさかのおばあちゃん大爆笑。

目を見開いて、こんな大口開けて笑うおばあちゃん、久しぶり!

 

車椅子から身を乗り出して、私が映っているだろう画面に大接近。

 

その様子を横から覗く母「おばあちゃんめっちゃ笑ってるじゃん!」

 

 

私「おばーーちゃーーーーん!!」

調子に乗ってもうひと押し

近すぎて画面一杯もう眼球しか見えなくなるくらい近づく

 

 

おばあちゃん

「んっふっふっふ」

 

 

表情豊かに笑うおばあちゃんは

まるで赤ん坊のようにころころ笑って可愛くて純粋性があって

私の方が癒しをもらえちゃいました。

 

 

 

おばあちゃんはとにかく身体が丈夫で健康だったので

それと反比例して脳だけがどんどん色んなことを記憶できなくなっていって

忘れていってしまって

覚えていられなくなって

 

自分が食べたことも忘れて冷蔵庫の中のものを

全て平らげてしまっていたり

 

一度お庭のお花の水やりを始めると

「終わり」の自覚がないから永遠にやってしまって

水道代が大変な金額になっていたり

 

1日に何度もコンビニにお酒を買いに行って

酔っ払ってしまって

何度も転んでしまったり、玄関で寝てしまっていたり

身体中痣だらけになってしまっていたり

 

朝になると

デイサービスの車が迎えに来る何時間も前から

用意した手提げ袋を持って外で待ってしまっていて

 

雨の日も風の強い寒い日も

ずっとずっと前から外で待っていて

 

「来るまでまだ時間があるよ」と言って「うん」と言ってくれても、

その1分後にはまた外に出て待ってしまっていて

 

 

忘れてしまうし、覚えていられないし

おばあちゃんに昨日も明日もなくて

 

ただただ、今日の今の1秒を生きているおばあちゃんは

 

もう私のことを覚えていないけれど

 

その代わりに、私がおばあちゃんとのことを

全部覚えてるから、大丈夫だよ、と思っている。

 

 

奉仕精神の強いおばあちゃんだったので

買い物に行っても、どこかに遊びに行っても

 

「どれが良い?好きなの言いな。おばあちゃんが買ってあげる」

 

母の制止を気にも止めず

いつもニコニコ。

私が欲しいと言ったもの全て買ってくれちゃうおばあちゃんは

 

 

「これ食べな。美味しいよ」

 

 

手作り派のおばあちゃんは既製品にはほぼ手を出さず

なんでも作ってくれた。

 

おばあちゃんの作るミートソーススパゲティと天津飯

いつもペロリと食べれちゃうくらい本当に美味しくって

小さい時から大好きだった。

 

 

一緒に出掛けると、足腰が強いから

背筋をシャンと伸ばして、誰よりもスタスタ歩いて行っちゃうおばあちゃんに

 

 

「おばあちゃん私よりも元気で若い〜」

 

 

と小学生の時の私が言うとおかしそうに笑っていたおばあちゃん。

 

 

一緒に並んでお布団で寝た思い出とか

姉のバレエの発表会に2人で観に行った思い出とか

花火大会に自転車漕いで一緒に行った思い出とか

 

おばあちゃんと過ごす時間が多かったから

話しだせば「あれもこれも」とたくさん出てくるけれど

 

今のおばあちゃんの中には

私との思い出はどれくらい眠っているんだろう。

 

 

大好きな宮崎監督の作品「千と千尋の神隠し」の中で出てくる

銭婆の台詞に

 

 

「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」。

 

 

と、あるけれど。

まさしく今のおばあちゃんは

この言葉そのもののような気がします。

 

なくなってしまった訳じゃなくて

ただ、思い出せないだけで

 

きっとおばあちゃんの思い出の引き出しの中に

たくさん今まであった色んなこと、仕舞ってあるだけだから

 

悲しまなくても、きっと大丈夫なんじゃないのかな、と。

 

 

母は時々

「私のことも、もうだんだん思い出せなくなってきてる」

 

 

と、そのことが目前に迫ってきているのを

来ないように来ないようにと願っているように

私に話をする時があるんですが

 

 

私は、私さえ忘れなければ

 

一緒に会話したことも、一緒に食べたご飯も

一緒に遊びに行ったことも

 

私がおばあちゃんとのことは全部覚えてるから

いくら忘れちゃってもいいし

大丈夫だよ

 

っと思っています。

 

母にとっては唯一無二の母親のことなので

私みたいにそんな風に考えることは難しいだろうことは承知の上でも。

そう、思います。

 

 

だって私が忘れないから、覚えてるから、それで十分だから

それでいいし、大丈夫なの

 

っと、久しぶりに大口開けて笑ってくれたおばあちゃんを見て

すごく幸せをもらえて

 

あ〜こんなおばあちゃんが見られるなんて、

 

よかったなぁと、改めて、思って

 

なんか、分からないけれど

今こうやって文章を打っていて、涙が出そうになっちゃうのは

 

おばあちゃんが私に今までくれたものがいっぱいあるからだなぁ

だからなんだろうなぁ

嬉しいなぁと

 

思いました。

 

 

長く生きることだけが全てとは思っていませんが

やっぱりできることなら

笑って日々過ごしてくれているおばあちゃんを感じられる毎日が

これからも続いてくれたら嬉しいなぁと、思いました。

 

幸せです。