とにかく好き!って言いたい星人

〜これが好き!ここがすごい!あれも素敵!と、とにかく言いたい星人の私〜

自分は役に立たないというさみしい経験も大切で必要なこと

今日の朝ドラ「舞いあがれ!」で

父親を亡くし、踏ん張り頑張る自分の母親に

「私もお母ちゃんの役に立ちたい。けど、手伝えることがない」

でも、お母ちゃんを少しでも助けたい。と

自分の長年抱いていた夢さえ横に置いて、今あるこの状況の手伝いをしたい、という

舞ちゃんに

 

自分も昔そう思って泣いたことがあったなぁと思い出したら

あまりにも自己投影しすぎて涙が止まらなくなってしまった笑

 

数年前ですが

母方の祖父と叔父が亡くなった時

母の母は認知症で施設に入っていたので

亡くなった手続きや処理などはほとんど母親が担ってやってくれたことがありました。

 

祖父も叔父も小さいですがお店を経営していたのでそちらの膨大な書類関係の整理も全て母が片付けていってくれて

かなり慣れない書類関係に手を焼いていましたが

でも毎日少しずつ少しずつ時間をかけて済ませていってくれました。

 

私も何か母の抱える膨大の山の一端を担えないか、と思い

舞ちゃんと同様

「私も何か手伝えることない?」と聞きましたが

「大丈夫だよ」と柔らかく断られてしまいました。

 

人に頼むという行為も助かりはするけど面倒臭さというものがありますから

自分で一挙に担ってやってしまった方が楽だったのかも知れません。

 

それかやはり母親にとって子供に甘える、頼み事をする、というのは

悪いことのようないけないことを犯すような

そんな性があったのかもしれませんね。

 

でも子供ながらにお母さんの何か助けになりたい、と思ってしまうのも

性であると思うんですけれどね。^^

 

また私は4つ離れた姉がいるのですが

そんな姉には母も色々悩んでいることや大変な事務処理のことなど

何気なく漏らしている様子が目に入ることもあり

自分の中で「私だけ何も役に立てれていない」と

勝手に劣等感のようなものを抱いてしまう機会が

重なってしまうこともありました。

 

そんな中、母は心臓が強くないこともあり

抱え込みすぎて精神的にいっぱいいっぱいになってしまうと

夜中にうまく呼吸ができなくなって

「ヒューヒュー」喉が鳴ってしまい苦しそうにすることも時々あって

 

そんな時は母の手をぎゅっと握って少しでも安心してもらうことはできないか、と

試したこともありましたが

そうしても母の具合が良くなることはなかったですし

ゆっくり「もういいよ」とつないだ手を離されることもありました。

 

「これもダメかぁ」と思いました。

 

結局、母が抱える大きなものを分けてもらったり

自分がその一端を担うことはできないんだ、と

役に立てない自分を認めざるを得ませんでした。

 

 

そんな中

私は高校生の頃からずっとダンス教室に通っていて

ダンサーになりたいとか特別な夢がある訳ではありませんでしたが

とにかく好きだからずっと続けていた。

そんなダンスの発表会が開催されることになり

 

学生の頃は観にきてもらっていたけれど

20代になってから誘うことをいつの間にかやめてしまっていた発表会に

勇気を出して母を招待することにしました。

めちゃくちゃドキドキしました。

 

忙しい中、来てくれました。

 

私が母にできることは、母の手伝いをすることではなく

ただただ私が好きなことに打ち込んで、楽しんで生きている姿を見てほしい、と

思ったから、来て欲しかったんです。

 

「久しぶりに踊っているところを見たけどすっごいよかったよ、かっこよかった」

 

楽しんでくれた様子の感想を聞けてすっごくホッとしました。

 

そして本当に嬉しくて、母に隠れてめっちゃくちゃに泣きました笑

「よかったぁ…」と本当に安心しました。

 

やっぱりどうしたって悲しくて辛くて苦しいその時の状況から

少しの時間でも一瞬でもいいから

その感情たちから距離をとる手伝いができたかもしれない、と思えた瞬間だったからです。

 

私ができることは、こっちだったんだな、と実感できたことでもありました。

 

人間として生まれたからには

どうしたって誰かの役に立ちたい、助けになりたい

と思うのは当たり前だし

それが実感できると自分の生の実感ができるということでもあると思うのですが

 

こういう「時には役に立たないこともある」という

一種のさみしい体験も

自分にとっては悲しいですけれど、とっても大切な経験だったなと今では思います。

 

役に立たないからってそんな自分がダメってこともないですし

人間誰しも役割っていうのがあるので

誰かと同じようにできない自分はダメってことはないし

私にしかできない、私だからこそできることがあるし

そもそも生きて存在しているだけで私たちって十分だしオッケーですし🌿🌟

 

なんか、画面の中で一生懸命お母ちゃんのために

手伝えることを探して

自分の夢さえ置いて、今自分がしたいと思えることにフォーカスしてる舞ちゃんを見たら

 

過去の自分と重なりすぎて、涙が止まらなくなってしまって

思い出した過去の自分の経験したことを文字化したくて

書き殴った次第であります…

 

舞いあがれは自己投影することが多い作品なので

こうやって過去の自分と改めて向き合って

「いい経験だったなぁ」と区切りみたいなものをつけさせてもらえた感覚になれることがあるので

本当にありがたいです。

 

あんなに努力してここまで歩んできたパイロットへの道を

一旦逸れて離れたとしても

またやりたいと思ったらその時また挑戦したらいいじゃない!っと

今やりたいと思うことをただただ今はやっていったらいいじゃない!っと

画面の向こうの舞ちゃんに対して自分が思ったメッセージは

 

そのまま今の自分にも向けられた言葉かも、とも思えました🌸

「目に映る〜全てのことは〜メッセージ〜♪」