今年の2月からYoutube投稿を始めた。
今年の1月に6年勤めた職場を辞め「これからは自分のしたいこと、やりたいことをとことん自分にさせてあげたい」と思い、自分がオタク的に楽しんでいる作品やイベントに行ったりしている様子を思い出としても残してみたくて、何より一度やってみたくて、チャンネルを開設して投稿を始めてみた。
今までずっと視聴者側だった自分が投稿側に回るなんて。面白いことが起こるモンだなぁ。
私はずっと発信する側でなく、受け取る側だった。
Youtubeは無職の私からするとやはり憧れである「収益化」がある。
でもそこまで辿り着くことがそもそもめちゃくちゃに大変だということはこうやって投稿する状況になる前から耳に入ってきていたことではあったし「あまりそこに固執しずぎずに」。とにかく自分には楽しんでやってもらいたかった。職場でずっと辛い思いしてきたんだから、今度は楽しんでほしい。
そして現在動画の投稿数7本。チャンネルを登録してくださっているかたが61人。
開設当初のことを思えば「61人もいるんだ夢みたい」と思っていますが
時々自分の脳が「このペースで行くと収益化の条件である1000人っていつになるんだろう」みたいなことを考え始めたりする。
その度に「いやいや、そんなことを考えたりせずに、とにかく楽しくやれるところまでやってみなよ」と言ってくる私もいて、相反する私がシーソーに乗ってブンブン左右に体重傾けるから、それに自分自身が振り回されることもしばしば。
そしてそんな中、つい先日7本目の動画投稿をした時にいつになく再生回数を気にしている自分が急に出てきた。
その時は投稿から12時間経っても再生回数が5回とかで、投稿した途端1人登録者さんも減ってしまった。
そしてその目に映る状況を見て急に自分が惨めに思えて悲しくてやるせなくなってしまった。
「あんなに自分なりに一生懸命編集して時間をかけてようやく一本作れて世に発信しても、見てくれる人は少ない、ましてや登録者さんも1人減ってしまった」
「私よりも少ない期間、少ない動画の本数でたくさんの登録者数の人もいるのに」
「私はそんな風になってない…なれていない」
「なんで、なんで…」
と、他の人と自分との比較をし始めるわ、他の投稿者さんへの嫉妬も始めるわ、自分でもどうして急に自分がそういう思いを抱いてこんなにも悲しくてみすぼらしい気持ちになっているのか、分からなかった。
原因究明をしたいところだけど、そこはグッと堪えて、とにかく今は悲しいやら悔しいやら情けないやらそういう湧いてくる感情を全部出したいだけ出して好きなようにしてあげようと思ってそのままなすがまま、思うがまま自由にさせてあげた。
コントロールしない。どうにかしようとしない。自分の感情の赴くまま好きにさせておこう。
そうしたらそのうち「もう知らないっ😤」と幼児ばりのヘソの曲げ方をした私はYoutubeと距離をとった。
(YT STUDIOっていう自分の動画の状況を一目で見れるアプリがあるんですけど、それを一切見ないことに。)
見るからこんな嫌な気持ちになるんだから。もう見ない。見ないようにしよう。もう知らないんだ。
完全にへそ曲げた。
そして昨日の夜、お風呂上がりにストレッチしながらこのラジオを聴いた。
(鈴の人生観とか人間としての大事にしていることとか、彼が紡ぐそういうお話が大好きで今それを浴びたい気持ちが強くて毎日鈴がゲスト回のラジオを手当たり次第に聞いていた)
そしてその中で鈴の言っていた言葉がとても印象に残った。
鈴「やってみてできないことはいっぱいある。それでいいと思ってて、それは失敗ではなくてやってもできないことがあるって認めてあげることだから」
この言葉を聞いて「あ、」と思った。
とてもつもなく心に残った。でもじゃあその答えは何?と聞かれてもまだその場ではその正体が分からなくて引っ掛かりだけ感じてまぁいいかとそのまま寝た。
そして今日。朝目が覚めて急に「昨日の鈴が言っていたことって」と急に答えみたいなものがわ〜〜っと私の中になだれ込んできた。びっくりした。どんなタイミング?笑
💡私は「できない自分」を認めてあげてなかったんだ。だから嫌だったし惨めな気持ちになってたんだ。
「できてない自分」「たくさんの人に見てもらえてない自分」を誰よりも自分が1番認めて受け入れてあげれてなかったんだ💡
うわ〜〜そういうことか〜〜〜🤔💡
確かに私は「できてない=いけないこと、悪いこと」みたいな思考が強い。
理想も高い。それに達せれない自分を今までもたくさんいじめてきた。
「なんでやれないの?」「なんでみんなみたいに正社員で働けないの?」
「もういい年齢なのにどうしてできないの?」「実家暮らしで恵まれた環境にいるんだからそれぐらいやってよ」「そうじゃないと恥ずかしいよ」「みんなやってるよ」
って、そういう言葉をずっと自分にかけ続けてきた。
だから今回もYoutubeを始めてみて自分のチャンネルの登録者数も再生回数も、数字として全世界に公開されてる。自分が(勝手に)できてない、まだまだだって思っているところをみんなにみられているのも恥ずかしい、できてないしそれを見られているのも嫌な気持ちになる、だから嫌。
みたいになってたんだ〜〜〜〜
え〜〜〜面白い〜〜〜目から鱗〜〜〜〜〜〜🐟
でも頭のどっかにはちゃんといるんですよ。
「でもさ、まだ始めたばっかりだよ?」
「ずっと受け取り側だった自分がそもそも発信側になっただけでも凄いじゃん」
「目に見える数字だけが全てじゃないよ」
「みんなみたいになろうとしないでよ」
こういった言葉をかけてくれる自分も確かにいる。
でもここ数日の私はそんなものも全て跳ね除け「嫌じゃーーーーーもっと認められたい愛されたい見てもらいたいんじゃーーーー」ってなってたけど。
それって私が私のことみてあげられてなかったってことなんだ。
ごめん私。いつもごめん。ここまでいかないとわかってあげられなくて、みてあげられなくてごめん。
それで気がついた。
Youtube投稿って、自分の中の本当との対峙じゃん。
特に最初の「目に見えて結果が出ない」時の「みてもらえてない自分」をちゃんと見つめてあげられるかどうかっていうのを味わえる良い媒体じゃんこれ。
私が嫉妬してしまっていたたくさんのチャンネル登録者さんがいる投稿者の方たちだって最初からそうだった訳ではない方もいらっしゃる。
そして私のように「登録者も増えない、再生回数も回らない、誰からも見てもらえてない、認めてもらえてない気がする」そんな寂しい自分、いわばカッコのつかない自分をちゃんと認めてあげて、それでもやり続けた結果の人たちなんだ、あのひとたちは…
みんながみんな私みたいなことになったりそう思った訳ではないだろうけど…
でもやっぱり自己対峙してきた人たちが多いんじゃなかろうか…
私が行き詰まる場所って結局いつも一緒かもしれない…
◉できない私を認めていない
◉醜くて恥ずかしくてカッコ悪い私を認めていない
大体これだよ、いつもそうだよ。
もう見つめてあげられていた気になっていたけど、まだまだだった。
全然嫌いだった。いつもいじめちゃってごめんほんとに。
だからと言って「認めてあげよう」「どんな自分も好きになろう」と思うとそれもコントロールになるし強制してることになるのであくまでも放っておきます。
まあいつか自然に和らいでいってくれるといいな、とだけ思って「自分を嫌いな自分がいる」というのを認知できただけで今は良しとしよう、という心持ち。
そうすればまた「ヤダヤダ」って駄々こね状態が始まった時に「あ、これは自分が嫌いな自分が露呈しているってことかも、なるほどそういうタイミングかなるほど〜」って思えるきっかけができるので。今はそれでよし。
自分のこと、自分が1番理解してるしわかってるつもりでいたけどまだまだだった。
ずっと「いい子できる子」に擬態してきた癖がなかなか抜けない人生33年生の私です。勉強になる〜〜〜〜〜
↑私が「もうやだ」となった動画