とにかく好き!って言いたい星人

〜これが好き!ここがすごい!あれも素敵!と、とにかく言いたい星人の私〜

ムネリンの言葉は安心のお薬

Youtubeさんのおすすめで、こちらの動画が出て来ました。

 

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川﨑宗則さん、通称ムネリン、私の心の兄貴です。

ムネリンの言葉で、たくさんの安心をもらって来ました。

 

こちらの動画についてお話する前にもう一つ素敵な動画をお話したいです。

 

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こちらも以前おすすめで出てきた動画で、サムネイルがまず最高すぎてすぐに動画を再生して見ました。…最高でした。

頷くことばかり、楽になれる言葉ばかり、

ムネリンははっきりと考えを喋ってくれて、でも強い言葉を使わず、私にいつもほっとできる安心感を何よりもくれました。

こちらの動画で言ってる「あなたは全部放置して、とにかくパスタを食べに行けば良い」という格言が大好きです笑

 

私は野球は全く見ないのでムネリンのことはお名前だけ存じ上げていて、どういった選手なのかどんな経歴をお持ちなのか、全く知りませんでした。

どちらかというと自律神経系の病気を患われた、というニュースを目にして「あ、そうなんだ」と思ったことのほうが印象に強い。

 

そして、冒頭の動画の件に移り。。。

お隣にいらっしゃる滝野選手のことも失礼ですが分からないまま対談を見ました。

冒頭から「チーム自律神経の僕たち」とムネリンが言っていて、「あ、滝野選手もご病気を…」と思いながら拝見。

滝野選手に「もう現役早く辞めな!」「もう練習も行かなくていい!!」と電話で言ったムネリン。

それに対して滝野選手の「え、僕練習行かなくても良いんですか?」がなんかもう胸がいっぱいになった。

私も自律神経失調症になったことがあり、少し苦しんだ期間があるので、

こういう自分のことに対して一生懸命になったばかりに一点集中しすぎて自分を楽にできない、という渦の中でぐるぐるした経験があるので

「え、僕練習行かなくて良いんですか?」って、

私も「え、仕事行かなくてもいいっていう選択肢あるの?」って思ったことがあるからすんごい気持ちが痛いほど分かってなんか色々思い出してしまった。

 

渦中にいる時にちゃんと本当の意味で芯からわかってくれる人から「もういい!早く辞めろ!練習も行かなくて良い!」って言われることの嬉しさったらないよなぁって。

自分への解放を手助けしてくれる大切な言葉だよな、と思ったら。

はぁ…ムネリン…😭となりました。

 

同じ状況を経験した人じゃないと本当にそういう状況になった時の声掛けって難しくって

私も病気の時、親から「何がどう苦しいの?どういう風に体調が悪いの?」って聞かれることがあったんですけど、うまく口で説明できなかったんですよね。

そんなに分かりやすく解説できるほど自分に起こってる状況をうまく言語化できなかったしそれを考えたりする体力も気力もなかった。

助けて欲しいけど、どうヘルプ出したらいいかも分からなかったし、本当に複雑化してた。

 

なので改めて、こういう実際に経験した人が

「いいんだよ、辞めていいんだよ、仕事なんて辞めたって他にいっぱい素敵な選択肢あるよ、それであなたの人生終わったりしないよ」って

真っ直ぐな言葉で発信してくれることってマジで大切だなって。思いました。

 

ムネリン、すっごく明るくて陽気でケタケタ笑ってくれてネガティブな言葉も使わないし

一見本当に病気と付き合っていることが分からないくらい。

でもだからこそ囚われてしまった時の引き摺り込まれてしまう感じは危険なのかもなぁとも。

 

以前テレビで木梨憲武さん、ノリちゃんが

帯状疱疹突発性難聴を同時にやった」って話しててそれにもめちゃくちゃびっくりしたんだけど、やっぱりそういうのをお話してくれてるのを聞くと、私は安心してしまうんですよね。

あ、私だけじゃない、っていうみんなもそうなんだ、っていうでっかい安心をもらえるので、本当にこういう発言をしてくださるのがありがたい。

ちなみにノリちゃんは大好きなハワイに行ったら一発で治ったって言ってました笑

コロナ期間による自粛で大好きな場所に行けなくて、そのストレスが来ちゃったのかもって言ってました。

で、ノリちゃんも「ストレス溜まってるかどうか自分でも分かんない」って言ってたので、そういう人は自覚がない分一気にドンって来そうだから危険だよな、と思いました。

知らないうちに溜まってるもんなんですよね。

 

なんか私も、私が言ったところで何がどうなるんだろうって思うんですけど

自律神経失調症で動けなくなったことがある、仕事のストレスで胃を悪くして

一時期はお水飲んだだけで具合悪くなったことある、

そういう経験を発信することで、1人でもほっとしてくれる人がいてくれたらなぁって。思います。

今でも時々焦燥感に襲われたりプチパニックとか、なんかよく分からないのが色々あるけど生きてるので笑

だからあなたも大丈夫です!って、私がいます!こんな私もいます!って

必要としてくれる人のもとに届いてくれたら最高にハッピーだなぁって思います。

 

本当の自分を出すことの恐れからの一歩

以前、自分のYoutubeチャンネル用の動画を作成し、その途中で自らの不手際にて映像が全て消えるという白目事件の顛末を衝動的にブログに書きました。

 

hohonohoppeta.hatenablog.com

 

そんなこんなでいろいろあり、作るのに2ヶ月もかかってしまった動画も無事、完成しました!!

 

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今回の動画で初めて自分の声で実際に喋って動画を撮影し、作ってみました。

今までも本当はそういう形で発信したかったのですが、自分の低い声や舌ったらずな喋り方があまりにもコンプレックスすぎて、そんな自分を出すことが苦痛すぎてその形をとれないでいました。なのでずっと無声で字幕だけをつけた動画を発信していました。

 

でもやっぱり自分の声で自分の感情を乗せて感想を言いたい。伝えたい!

自分にとっては自分の声をこの世に出す、ということが恐怖で

自分の声を変って言われるんじゃないか、聞き取りづらいと言われるんじゃないか、と

やる前からネガティブな妄想で埋め尽くされ、不安で怖くてしょうがなかったです。

 

だけど、結局やってみたところ、前の自分が出していた形よりも今の方法をとったものの方が個人的には納得できたし、気に入ることができて、「やれて良かった、出せて良かった」と思えました。

そんな自分に嬉しくも思えました。

 

しかし私も人間なので、やっぱり評価が気になります…どれだけの人が見てくれて、どれだけの人がいいねしてくれてるのかな…と毎日結果を覗きに行ってしまう…

 

そしてその数に振り回され、もやもやとする日々…おかしいな…何だか自分の中で新しいものが始まるような感じがしてすっごくワクワクしていたのに…こんな風になるために、私は新しい形を選んだわけじゃないのに…なのに、どうしたって気持ちがジメジメする、メソメソしてしまう…

 

そんな時、錦織圭選手が久しぶりの試合復帰を果たしました。

 

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何度も繰り返される怪我と付き合い、それでもテニスが好き、テニスがしたい、と日々奮闘している圭くん。

 

今回の試合は勝利を収めることができませんでしたが、こちらの投稿された動画に対しての温かいコメントの数々に、私が感動してしまいました。

英語でも日本語でも、たくさんの祝福コメントです。

 

「錦織選手のプレーが見れるだけで幸せです」「結果はどうあれ、ずっと待ってたよ!」「戻ってきてくれてありがとう!」「Happy to see Kei is back.」

 

本人は、やっぱり試合をやるからにはもちろん勝利を収めるべく挑む訳ですが、

見ているこちらからしたら、勝敗云々ではなく、コートに立っている、試合をしてくれている、テニスをしてくれている、その姿を見せてくれている、

それだけでなんて尊くて、幸せで、素晴らしいことか!!

 

そして、真の見つめるべきところはもしかしてそういうところなのかもしれない、とも思いました。やっぱり勝敗や、どれだけの人に見てもらっているか、フォロワーの数、いいねの数、そういった目に見える明白なもの、そういったもので自分を測る、そういう側面もあっていい。

 

だけど、自分が何かをやった、行動した、という事実だけで世界のどこかで誰かが喜んでいる、という自分には直接は見えないけれど、だからこそその人に届いた嬉しさの濃度みたいなものに目を向けることができたら。

本当はそれだけでいいのかもしれない。

 

何だかそんなことを思って、そして私の脳内では藤井風さんの楽曲「workin hard」の歌詞の一節「結果なんぞかったりーわ」が思い出されました。

戦うのはか弱い己自身さ、と軽快に歌ってくれる彼の真っ直ぐさに救われたりして…

 

小さい頃から、学校のクラスの中で採用されてた多数決。

やっぱり数が多い方の意見が採用されて、自分の中で「やっぱり数が多い方が認められる。少ない方は認められない。」という意識も少なからずあるのかもしれない。

多い方がいいこと、少ないのは良くないこと、みたいな変な方程式、もうそろそろさよならしたいな、と思いつつ、自然に手離れていくのをゆっくり時間をかけて見守るしかないのだな、とも。

 

いつだって自分を幸せにしてくれるのも、悲しい思いにさせてくれるのも、自分自身なのだなぁと思いました。

 

涙と鼻水、そして脇汗【君たちはどう生きるか米アカデミー賞受賞!!】

泣いた

 

 

 

めっちゃ泣いた。良かった、良かった、本当に良かった、

嬉しい、すっごい嬉しい、すごい、良かった…、本当におめでとうございます!!!

 

泣いた〜〜〜〜〜〜

目汁、鼻汁、脇汗ダーダー

興奮の極地。

ジェットコースターみたいに興奮しきってしまったせいで、今はもぬけの殻みたいになっている。🙃

 

昨日の夜から、今日のオスカー賞発表の事を思うと

楽しみと緊張(お前がしてどうする)のせいで全く寝付けなかった。

眠いのに眠れなくて起きたり目が覚めたりの繰り返し。

気持ちよくない朝の目覚め方をした。

 

それくらい、楽しみだった、米アカデミー賞授賞式。

 

賞を受賞することが全てじゃない。

だけど、やっぱり自分の大好きな人が、自分を救いあげてくれた人が

こうやって世界から評価されることは本当に嬉しい。嬉しいよ、本当に嬉しい…

 

NHKプロフェッショナルの密着で

頭掻きむしりながら、貧乏ゆすりしながら「面倒臭い面倒臭い」と言いながら

とても大きな存在である高畑勲監督を亡くされ

大切な人との死によるお別れというものを

時間をかけず、今回の映画の中に落とし込むために

無理矢理にでも高畑監督との心のお別れをし、

「1ヶ月以上、パクさん(高畑監督)のお通夜が終わらない」と語り

その期間全く描けなくなってしまっても

それでも毎日紙と鉛筆を手に向き合い続けた

80を過ぎた宮﨑監督のその「それでもやるんだ」という姿は

本当に「君たちはどう生きるか」というタイトル通りの生き姿であり

「俺はこう生きる。じゃあお前たちはどう生きる?」と

これからの自分の生きていく道筋を改めて思わせてくれる、痛感させてくれるドキュメンタリー映像でもあり、

そして今回の新作映画だったために

 

本当に今の私にとって、あまりにも影響を与え続けてくれる存在であるな、と

改めて自分にとって大切な出来事になった。

 

アニメーション映画作品で「君たちはどう生きるか」って

こんなどストレートに生き方の核心みたいなものを突いた作品を描けるのは

本当にこの人しかいないんじゃないか、と思ってしまう。

 

本当の意味で「それでも生きていく」を体現している人でないと

こんな事をテーマに作品を作れない。

 

「THE BOY AND THE HERON」とコールされてから

舞台上の後ろのスクリーンに弓を持って凛と立つ姿の眞人がずらっと映し出されて

それもすごく感動的でした。

 

本当に、本当に、作品に関わられた全ての皆様

おめでとうございます。

 

宮﨑監督、ぜひこれからも作品を作り続けてください…

まだまだあなたの作る作品をこの目で見ていたいです…

 

あなたも素敵、でも私も素敵、の精神で生きていきたいわけよ

この間、姉がいきなりこんなことを私に話し出した。

 

「誰かが誰かをすごいって褒めることは、その人は相手を上から目線で評価してすごいって言ってるってこと」

 

「上から目線で人のこと評価してるってことだよ」

 

それ、どっかで誰かも同じようなこと言ってたぞ?と思ったら

そうだ、アドラーだ。

 

 

私は数年前にこの本を読んで、めちゃくちゃにショックを受けたのである。

だって私はいつも身近な人に対しても、役者さん、アーティストさん、いろんな人たちに対しても

「すごいなぁ〜こういうところが本当に素敵だなぁ〜」と常日頃思っていたし

 

家族や職場の人たちなんかにも

「あなたにはこういうところがあって、こういうところがすごい素敵で魅力的だと思う。本当にすごいと私は思う」(熱烈ジェスチャー付き)って

何度も直接本人に伝えてきたから。

 

だからアドラーも説いている先ほど姉が言ったことと自分を照らし合わせて

 

「じゃあ私はずっとたくさんの人のことを上から目線で評価してたってこと!?」

 

っと思ったら、言いようのない気持ちになった。

そんなつもりは一切なかったけど

そんな目線に私はなっていたってこと?って思ったら自分の厚かましさに悲しくなってしまった。

 

その当時すごくショックを受けた私は

友人にその顛末を話した。

 

友人は

 

「いやでもさ、アドラーだって奥さんに『あなた素敵ね』って言われたらどうせ喜んでると思うよ」

 

という面白い返しをしてくれて、とても心がなだらかになれたのを今でも覚えている。

 

そしてつい先日、姉から再びその文言を聞いて

今の私の中に、その説いに対して当時は出なかった「今の私なり」のアンサーが出た。

 

上からとか下からとか、そういう角度がついた目線から人のことを見てる、とかではなく

 

あなたも素敵、だけど私もなかなかに素敵✨

 

というものである。

 

別にあなたはとても素敵だね、すごいね、と言った後に

わざわざ「でも私も素敵なわけ✨」と言うことはないんだけれども笑

 

心の中で呟くんです

 

「すごい人だなぁ🥰(でも私も結構すごいんだよ😎ニヤリ)」

 

そうしたらその人と自分は横並びで立ってる。(イメージ)

上とか下とかない。その人のが進んでる、自分のが後ろにいる、とかでもない。

 

同じ横並びでいられると、私は心地いい。

 

どっちが優れてる、優れてない、とかそういう優劣も必要ない。

 

あなたも最高、でも私も最高。がよくない?

口に出しててすごい幸せなんだけど?すごい好きなんだけどこれ。

お互い素晴らしいんだよ。どっちも最高な存在なんだもん。

 

お互いがお互い、等しく最高なの。

 

だって私たちには金子みすゞ先生の詩が体の中に流れているじゃないか〜

 

みんな違ってみんないい

 

小学校低学年の国語の授業で習ったよなぁ。

今でも子供たちは授業でこの詩を朗読したりしてるのかしら?

 

アドラーや姉の考えが間違ってるとか、そういうことでもなくて

彼らは彼らでその考えを持って大切にしていてよくて

 

でも私は私で、今の私の中ではこうやって思えてると何より自分が幸せだと思えるから。

私はこの形を心に留めておきたいなぁって。そんなことを思いました。

 

私のこのブログのタイトルも

 

「とにかく好き!って言いたい星人

 〜これが好き!ここがすごい!あれも素敵!と、とにかく言いたい星人の私〜」だし。

 

私はすぐ「すごいすごい!ここがすごい!素敵!あああ」って鼻息フンフンになっちゃうので

 

今の私の中では、そういう風に説いておきたいな。と思えるいいきっかけをもらえました。

面白いねぇ🙃

 

 

♦︎

 

 

それから今日はすごい久しぶりにお散歩に行きました。

あんなに大好きだった散歩が、ここ数日急に全然行きたくなくなってしまって

自分でも「あれ??」ってなってたんですが

今日は「行こう!」って心と体がなってくれたんで、久しぶりのお散歩。嬉しかった。

 

数日の雨を経て、久しぶりの晴天で

空気澄み切っててすごいいい香りがして太陽の光心地いいし、歩いててなんか涙が出そうになりました。

 

そしたら近くの川に白鷺さんがいました。

 

 

可愛い🥰

 

 

鷺さんを見かけると

私はついつい、大好きな宮﨑監督の「君たちはどう生きるか」のアオサギさんを思い出して

菅田将暉くんのしゃがれた声が脳内再生されます。

 

 

ズームにして撮影してるので、画質が荒いのでわかりにくいですが

本物はすっごく綺麗な真っ白の毛艶で惚れ惚れします。

ずっと外にいるのにどうして体が汚れてないの?

合成?異次元空間にあなただけいる?ってくらい純白の白色でスンゲェ綺麗なのです。

 

川の浅瀬に脚を浸からせて優雅にゆっくりぴしゃぴしゃ言わせながら歩いてるのも

なんか可愛らしくてじっと見ながら笑ってしまった。

なんだろう、なんかわからんけど可愛くて笑ってしまう。

 

でも、

宮﨑監督がアオサギを見て、嘴の中におじさんがいるアオサギを描こう、となれるその発想力がやっぱり何度考えても凄まじすぎて意味分かんなくて大好きです笑

アカデミー賞授賞式楽しみ!!!!!10年ぶりのノミネーション、本当におめでとうございます!!!!!)