ブログはタイムカプセル

〜フリーランスを夢見る無職実家暮らしアラサー女のしゃべり場〜

これでもかと傷付いて、気付いて、手から放れていったもの

昨日、父と言葉のぶつかり稽古をしました。

つまり、口喧嘩です。

 

めちゃくちゃ些細で、どうでもいいことです。お昼ご飯の私の食べ方が気に食わなかったらしく、突如烈火の如く怒鳴り散らしてきて

しまいには「いやらしい」と捨て台詞を吐き捨てて立ち去ろうとしたので

その言葉だけはどうしても聞き逃すことができず、引き止めてその真意を問いただしました。

結局言いたいことが全く分からず、防戦一方。

そしてこの機会にと、お互いの日々思っていたことを噴出し合い、喧嘩し合いました。

私の身体は、恐怖と怒りで、ブルブル震えていました。

 

その中で、私が言った「私のお家なのに私は自由に過ごすことも許してもらえないの?」という発言に対して

「文句があるなら自分で稼いで一人暮らしをしてから言え」という言葉があまりにも痛すぎました。

そんなことは分かっている。何より自立したいと思っているのは私なのだから。

そしてそんなことができたら私はとっくにしている。

でもそれがやりたくてもできないから困って、困り果てている訳で

一人暮らしができるだけの分働こうとすると、身体と心が追いつかなくなるし

労働力の分、どうしたって身体と心が破綻してしまうから

みんなみたいにやろうとすると、私はうまくできないから

いろんな形を試して、やっぱり難しかったから。

私は私なりに無理のない形でお金を得る形を探すしかないと思った。

だから日々、自分にとっての「これだったんだ」を見つけたくて自分に無理のない形を模索し続けてそれがいつ出てくるかなんて全く分からない宝探しゲームでもするように、でもどうしても見つけたくて奮起しているわけで

今。毎日。

私の人生にとって一番目指している場所が、自立なんです。

その目標のために何が良いのか分からないまま、とにかくやるしかない、という気持ちでやっています。

 

でもそんなことを父は知らない。私の想いやその気持ちなんて、実情なんて知らないのはしょうがない。でも知らないからしょうがないで片付けられるほど、私はそんなに優しくない。寛容じゃない。

そしてそれはあまりに痛すぎて、そして本当に悔しい言葉だった。本当に悔しかった。全てが悔しくて情けなかった。

結局私は何を言っても今は親の脛を齧って生活させてもらっていて、おんぶに抱っこで、そんなの申し訳ないしみっともなくて悲しくて、でもそうでないと生きていけないから、

直視したくないと日々目を背けていた「役に立たない自分」という印籠でも真正面から突きつけられて

心臓にナイフでもブッ刺されたような気持ちになってしまった。

きっと私の人生史上、一番心が深く抉れてしまった瞬間だった。

 

結局「和解」と言えるようなことはできなかった。

 

時間が経って、怒りが落ち着き、次第に悲しみが一気に押し寄せてきて

実の父親に「いやらしい」って言われた私…、と思ったら

それがあまりにも悲しくて、悔しくて、やるせなくて、たまらなくなった。

 

現実から目を背けたくて、気分転換に録画しておいたアニメを見たけれど

そこには主人公の父親が、血のつながらない息子に愛を伝えている場面が映し出されていて

「いいな、こんなお父さん」と知らない間に呟いていて

それを引き金に馬鹿みたいに泣けてしまった。

 

時間が経ってお夕飯の時、母が作ってくれたご飯があまりにも美味しくてまた泣けた。

涙と鼻水をダラダラこぼしながら、なんとか食べた。

父が怒るときはいつもご飯時が多くて、美味しいご飯がいつも美味しくなくなってしまうな、と思ったら、さらに切なくなった。

結局その日のお昼だって、言い合いをした後、恐怖で胃が縮んでしまってもうご馳走様でしたをするしかなくなってしまった。

 

気を緩めると、父の激昂して血走った目が脳裏に浮かんでくる。

すごい眼差しを娘に向けるのだな、と思った。

そして、私も父に対して「親はこうあるべき」みたいな固定概念をあまりにも固執して持ち続けすぎていたのかもしれない、とも思った。

私はきっと、平伏させたかった。あの時、言いくるめようとしていた。無意識のうちに。

あなたは間違っている。だから、正したい。是正させたい。

私は父を、コントロールしようとしていた。

 

だから、あ、そうか、もう、コントロールしようとしなくて良いんだ、と気付いた。

無理に相手を動かそうとしたり、納得させよう、とか修正させようって思わなくて良いんだ。

もうそんな必要ないんだ。と思った。

どう思っていいし、どう思われたって、それでいい。

私は父にもう干渉しないでいい。それがいい。きっと。そうだ。そうしよう。それでいいんじゃん。と思った。

 

私の中でずっと父との関係をなんとかしようと思っていた。

修復のような、何か。そうでないと、私はきっとこのままでは結局父が私にしてきたことと同じことを、父にしているような気がしてしまって、そんなことはいけない!と思っていた。

 

でも、もうコントロールしようとしなくていい、干渉しなくていい、そう思えたら、何だかふわ〜っとして、気が抜けていった。

ずっとぎゅうっと握りしめていた風船の紐を手放した気分みたいな感じ。

それでいいんだよ。そう思えて、寝た。

 

だけど、今朝方トイレで目が覚めて、それから布団に戻ったらやっぱり腹立たしさが抑えきれなくなってしまって、脳内でぐるぐると考えが巡りすぎて結局朝5時に目が覚めてから怒りで眠れなくなってしまった…

 

そう簡単にいかないよな〜と思いつつ、まだ全然消化も追いついていないけれど、そのままの気持ちでブログを書いています。

 

こういう父とのみっともないやり取りを載せる時いつも思うのは

同じように何かお父様と並々ならぬ想いや関係性を持たれてる方がこの記事を見てしまった時に、嫌な気分を思い起こさせてしまったらどうしよう、ということなのですが

今回は、どうしても大好きで大切なこの場所だからこそ、敢えて残しておきたくて、記事にしました。

 

いつか未来の私がこの記事を読んだ時にどう思うか、

タイムカプセルみたいな感じで形に残しておきたい、確認がしたい、というような想いがあるからです。そういうことができるから、ブログが、やっぱり好きです。

 

今までも過去の自分にブログを通して救われた経験があるので、自分のために、残しておきます。

 

皆さんは、自分の両親とどんな関係性を構築されていらっしゃるのでしょうか?

 

私の父は「じゃあ俺たちってなんだよ、家族ってなんだよ?」と昨日も私に言ってきたのですが

そんなこと、考えたこともないんです私は。

意味とか、定義とか、そんな宇宙の摂理を考えるようなところに私の中で「家族」は位置付けてないんです。

ただ笑って元気で生きててくれれば、それで十分なのに。その想いは一緒のはずなのに、なんでこうなっちゃうんだろう。不思議な繋がりだなぁって思います。家族って。

 

私がこんなに傷付いているのだから、父も相当傷付いていると思います。分からないけど…

急に傷を付けられて、それがあまりにびっくりして、痛すぎて、泣くことしかできなかったけど

この傷を付けられたからこそ気付けたこと、手放せたことがあるなと思うと

教えてくれて、勉強させてくれて、ありがとう、の気持ちもあります。

傷付けてもらわなきゃ、そして私も父を傷付けないと、こんなこと、知れなかった、きっと。と思いました。

 

昨日父から吐き捨てられた言葉によって私の傷口はまだグジュグジュで固まってないんですが

これがいつか瘡蓋になって、少し跡が残る程度になって、いつかは見えなくなったりするのか、今のところは、全くわかりません。

 

小さい頃からずっと考えていたことで

「父がこの世を旅立った時、私はその時一体どんな感情になるのだろう」ということがあります。

どう思うのかなんて、今更考えたって分からないし、いいんですが

その時の自分がどう感じるかで、自分のそれまでの歩みや、なんと言ったらいいか、分からないですけど…でも振り返りが計られるタイミングでもあるのかな、とも思っています。

 

こんな読んでいて胸糞しか悪くならない記事をここまで目を通してくださり、本当に、ありがとうございました。

ブログを書くことで、落ち着けました。昇華できました。

本当にブログさん、いつもありがとう。