とにかく好き!って言いたい星人

〜これが好き!ここがすごい!あれも素敵!と、とにかく言いたい星人の私〜

鈍感な母から生まれた敏感な娘の私

私は実家暮らしの33歳です。

両親が一生懸命働いてローン完済を果たしたガードレールもないような田舎の端っこにちょこんと建っている小さな戸建てのお家に住んでいます。

 

小さいお家なので部屋数が少なく、私は個人の1人部屋がありません。

8畳に母と一緒に2人で寝ています。

 

ちなみに4つ上の姉は1人部屋があります。

「お姉ちゃんは年頃だしもうそろそろ1人部屋必要だよね」と中学に上がった頃数少ない部屋を与えられ1人部屋デビューを果たした姉が心底羨ましい。本当に羨ましい。

私も自分の好きなものでいっぱいのお部屋に1人で過ごしてみたい。

でももし私の方が姉より早く生まれて妹でなく姉として生誕していたら私が与えられていた訳で、姉に何の罪もないので姉に対してというより、その処遇が羨ましいだけである。

 

 

実の母の彼女と一緒に部屋で過ごすのが正直きつい場面がたくさんある。

特に朝と寝る時。

 

母はいびきがうるさい。本当にでかい。

私は不眠がちなのでこの騒音による心のダメージが本当に大きい。

 

一方朝になると仕事の準備でバタバタする母が部屋に入ってきたり出ていったり、忘れ物取りに来たり何かずっとガサゴソやっていてまだ寝ている私にとって顔をしかめずにはいられない時間がかなり多くある。

 

私にとって眠る時と寝ている時のいわゆる睡眠妨害をされることが本当に苦痛でしょうがない。

以前たまらなくなって言いたくないけど

「急用でなければ朝に部屋をバタバタ入ったり出たりするのをなるべくやめてほしい」と伝えた事がある。分かった、と返事をしてくれてそれから数日は気をつけてくれていることがわかるくらいぴたりとなくなる。けれど時間が経つとまた元に戻ってしまった。

 

結局私は私のものさしでしか考える事ができないので

「私だったら家族が隣で寝てるのにこんなに音立てたりしない。まず起こさないように努力する。静かにしようと心がける。なのに、なのに…」という思考でいっぱいになってしまった。

 

眠りが浅く、なかなかちゃんとした睡眠が取りにくい私にとって「ちゃんと眠りたい」という意識が強すぎて、それを音で邪魔されてしまうような行為をする母が嫌になってしまって

「娘の私が嫌だと言っていることをするなんて、お母さんは私のことを愛していないんだ。愛していたら、私の嫌なことをするわけがない。だから私はお母さんから愛されていない」

と、そこまで考えが飛躍してすごく悲しくて辛くなってしまった。

 

けれど時間が経って冷静になってくると母が私を愛していない訳がない、ということがだんだん脳から体に染み込んできた。

愛がない訳じゃない。それが理由なんじゃない。

 

私なりにそこから色々巡らせてたくさん考えてみた。

どうしてこういうことになってしまうのか?

 

私は敏感で、視界に映る情報が多かったり少しの音も気になってしまう。

環境から受ける刺激が多い。苦手なことが多い。気になってしまうことが多い。

だから自分がされたり嫌なことは、もちろん人にもしたくない。

だから自分がされて嫌なことは自然のうちに人にもしないように気をつけたり勝手に配慮したりする。

 

一方母。

彼女はきっと鈍感な方。

一緒に行動していても割とズボラだなと思う。几帳面で気にしいなところもあるけれど。

私のそれとは少し違う。

私に比べると母は気になる事が少ない。環境から受ける苦手なことも少ない。

 

だから母にとって「嫌なこと」じゃなく自分がされて「平気なこと」だから、それを人にしても平気だし、しないようにとは思わない。

気をつけようとは思わない。

だから私のされて嫌な事を理解することができない。難しい。

頭では理解しても芯から理解しているわけではない。

母の中に「これをされるとどういう嫌な気持ちになるか」の経験がないから。

自分がそうじゃないから。体験してないから。当たり前だ。

 

そう自分の中で勝手に答えみたいなものが導き出せた時に「あ、そうか、だからか」となって腑に落ちて少し落ち着けた。

これが本当かどうかはわからないし母に確認して答え合わせも特にしていないけれど

母に向けてしまう自分の中の刃みたいなものを鎮めておく良い引き出しを探していただけで。

自分のそういう部分を否定するんじゃなくて、ただ見つめて、彼女にその切先が向かないように自分のことを自分でも理解しておきたかった。

自分のことを理解できていると、その尖ったものを人に向けないで済む。

 

でも結局今でもうるさくされると「こんにゃろう」と思うには思うけれど

「お母さんは鈍感で私は敏感だから」という一つの魔法の呪文みたいなものがあると、そのどうしようもない事をコントロールしようとしないので「まぁ、しゃあなし」となれる余裕は手に入れる事ができた。

 

結局私から怒りが湧き出る時の入り口は大抵「なんでそういうことするの」「どうしてそんなことするの」と理解ができないところから始まるので

自分の中で合致がいっているとなかなか沸点を超えた怒りというのは湧きにくくなることが勉強になった。

 

こういう「あ、そういうことなのかも」みたいなことはやっぱり自分でそういうことに遭遇して「何で?」って根掘り葉掘りしてみないと出会えないことなので

私が幼少期から1人部屋を与えてもらえて1人で悠々自適に邪魔されることなく寝たり起きたりしていたら、この経験と勉強も一つ消えていたのかと思うと、それはそれで良かったとも思えた。

 

自分が何が嫌で何をされたら嬉しいのかどうかとか、自分から湧いてくる感情なんかは誰かと一緒にいないと自分で認識ができないことだから

人とずっと一緒にいることが苦手な私だけれど、私の好きなこと嫌いなこと苦手なことを教えてくれるのはいつだって誰かがいてくれてこそなので

「何だかなぁ」って阿藤快さん並みにぼやくしかない日曜日の朝です。